
才能ってのは、もともとある人、そうでない人、
いや、「自分が考える、あること」についての才能ってわけで、誰でも何かの才能は持っている。
以前に好きということは才能がある、ってことをこのブログで書いたが、
大抵、好きなことが仕事になったりすると、これが悩みの種になる。
どんなに上手くても、売れるかどうかって話とは全く別な訳です。
何も知らない人が音楽をやる、大学ですみからすみまで勉強した人が音楽をやる
これが、何も知らない人が売れることがあったりする。
だったら、努力って何???とかなるわけですが、努力は決して無駄にはならない。
うさぎとカメでも、「走る」ということについて
才能のある人が油断しているのと、才能のない人が努力しているのとは
その努力が才能に勝ってしまうってことを教えてくれている。
どういうことかって言うと、才能がある、自信がある、なんて人は、一番油断している状態ってことだと思うのです。
だからこそ、何を努力しても、その努力は、きっと自信がない、才能がないから始まっているはずなので
そこには、油断というすきが無いのです。
才能がある人をひっくり返すだけの力があるはず!と思うのです。
一つ別なお話ですが、
僕は、ちいさいころに、岐阜の田舎でかえるのくちに爆竹をくわえさせ爆破して、頭が飛んできたことがあった。
それは、僕の心に強烈な印象として、2度とこんなことはしてはいけない、と心に刻まれました。
絶対に命は大切にする、ということをこの小さなころに学んだ気がします。
時代劇や、刑事ドラマなどを見ていても、正しいものが必ず勝つことになっている。
その勝つ場面を見るために最後まで見ている。
人間は誰でも悪い心と、良い心をもっていて、誰しも良い心を保ちたいと思っていると思うのです。
その良い心を保つために、良いものが勝つところをあえて見る。
映画にしても、悪いものが勝つものなんて、たぶん一つも無いと思う。
音楽にしても、お笑いにしても、最低な主人公であればあるほど、共感できたり、笑えたりする。
僕も含めて、何の才能もないという人は、ともすれば、自分は最低なヤツだと思うこともしばしばある。
だからこそ、最低な主人公はとても共感する。
そして、その最低なヤツも少しずつ良い人間になろうと努力して、社会に出て、
成功していくようなストーリーはいつの時代でもわくわくする。
僕らもいつかは、人の心を癒し、悪い心であがいている人たちが、良い心に落ち着けるような
音楽を作りたい。
そのためなら、どんな努力も惜しまないのです。
そう考えていると、才能なんてどうでもいい、と思ってしまいます。
才能があるって言っている人ほど油断が多い。
才能が無いと思って努力しないといけないと思っている人ほど、
いつかは、その努力が叶う日が来ると思います。年齢なんて関係ありません。
たしかに、誰が目にも才能のある人は世の中にいます。
とてもかなわないような人もいます。
だけど、自分は、ただひたすら、自分のしたいことへの努力を惜しまずに
やって行こうではありませんか!
カッコ悪くても、歳をとっても、それが突然目の前に現れる日が来るのです。
そう信じて、今を生きる努力を積み重ねて行きましょう。
必ずその日が来ますから。