北海道の根室の某企業のイメージソング制作

Facebookではいろいろこんなことやってます的なことは可能なところだけですが
公開しておりましたが、
いよいよ、本日、最終版とも思える音源が完成。

今回の制作は、大変でしたが、サプライズと感動の連続で、とても素晴らしい制作でした。

事の発端は、5月16日の月曜日、1月に初対面で、その後ボッサなど作ったりしていたりして、それを聴いていただいたりしていた、Fプロデューサーから突然の連絡。

このFプロデューサーは、平井堅の瞳を閉じてのレコーディングエンジニアや、CMの「やっちゃえ日産」のコピーを作ったり、各方面で大活躍の第一線のエンジニア兼プロデューサー。

Fプロデューサーによると、北海道で100周年を迎える某企業の100周年記念ソングを制作するとのことで、作詞はFプロデューサーが担当、作曲は、雅音人のTamikoさんが担当とのことで進めたいとのこと。

詳しくはOプロデューサーから連絡があるので、そちらで詳しいことは聞いてみてくださいとのこと。


Oプロデューサーと言えば、巨匠と知られる音楽プロデューサーで、レコード会社の社長や、スタジオジブリの風の谷のナウシカなどからの映画の音楽プロデューサーを務められ、古くは、吉田拓郎さん、井上陽水さん、矢沢永吉さんのレコーディングエンジニアも務められた業界の巨匠です。


すると、電話。「辻くん!Oです。」ってことで詳細をお聴きしました。

楽曲の締め切りは、今週日曜日。5月22日。

この一週間で何が出来るか!歌詞もFプロデューサーからいただいて、Tamikoさんにこの話をしました。


何と言っても、夢の様なメンバーの中での制作でして、何でもやるしかないってわけで、何としても採用していただける作品を作るしかない!!

そんなことでこのプロジェクトはスタート。


5月18日の、スタートして2日目。Tamikoさん、曲が出来ました!少しだけこちらでアレンジを加えて、
Fプロデューサーに聴いていただくべく調整。

僕は、まずは、作詞をされているFプロデューサーが、この詞のイメージとして、この曲のイメージが合致するものかどうかが大きなテーマでもありました。

19日に、初めて聴いていただき、テンポなどアドバイスをいただき、歌詞の言葉の数も調整。

ある程度出来た段階で、Oプロデューサーに送ってくださいとのFプロデューサーの指示のもと、送らせていただきました。

その段階で、Fプロデューサーからは、イメージ通りの曲です、とのお言葉をいただき、僕はそれがとても嬉しかったです。だって、そこが大きなポイントだったんですよね。

その後Oプロデューサーに聴いていただき、サビをさらに良くしたいという話が飛び込んできました。

さらに検討に検討を重ね、そこにはFプロデューサーも電話口で曲のフレーズの案を歌ってくださって提案していただいたり、何だか、とても妥協のない世界の中にも暖かさと希望があって、とてもいい制作現場になっていました。

夜中の3時越え、4時ころで明るくなったころに現場を出て、仮眠したり、そんな状況での制作でした。


サビの新しいイメージを作って制作、提出して、これでどうか?と思っていたところに、どんでん返し。
もとの最初に作ったバージョンに戻したいとの話があったりして、
この、妥協のない検討に検討を重ねる方法というのは、とても僕らには刺激的で、それよりも、こんな強烈なメンバーに加わって仕事をしている有り難みを感じながらの制作です。

いろんなことがありましたが、Fプロデューサーも、Oプロデューサーの間に入って、ディレクターという立場で制作を支えてくださったので、僕らはどれだけ助かったか!
突然、明日25日、東京で、北海道の山口さんのレコーディングをやるから。
という連絡。

ほぼ、全員が、えーーーー!っていう感じでして、これがプリプロ的なものになるのか、本ちゃんになるのか、全く分からないままに制作。

今回は、北海道で活動するシンガーソングライター「山口孝司さん」が、Tamikoさんとデュエットということですすめられていました。

その日夕方の5時からの東京のスタジオでの作業ということで、前24日は、Tamikoさんのボーカル、ガイドメロディー、Fプロデューサーのリクエストもありまして、それに応えるべく、必要な音源を、滋賀の中司さんにも協力してもらって作りました。そしてスタジオに音源送付。

25日は、夕方から約8時間に渡るレコーディング。
録り終えましたと連絡があったのは、夜中の12時前でした。


そして、28日、ついに、まだ完パケではありませんが、とOプロデューサーからミックスされた音源が送られてきました。すごいストリングスの感じで、素晴らしくなっていました。

こういう方向で行くんだ!って思いました。

そこから、さらに、サビの部分のメロをやっぱり再検討の話がOプロデューサーからのお考えとしてあるみたいとFプロデューサー。

28日は、松本のスーパー銭湯のおぶーさんでコンサートをやっていまして、
終了後、お食事をいただき、また制作現場に直行。

そこから何パターンもさらに作って、Fプロデューサーも本当に親身になって協力してくれました。
夜中の3時すぎまでやっていたかと思います。
これがホント、大変でしたが、案外と、とても可笑しくて、楽しい時間でしたね。

翌朝。Fプロデューサーから連絡。

OプロデューサーからOKが出ました!とのこと。

この可能性をどこまでも追求する妥協のない姿勢は、すごいですねー!!

それで、最初のパターンと最後のパターンが出来上がって、このどちらかということでOプロデューサーから連絡があり、僕らの制作もほぼ山を越えて、僕も名古屋に。


で、最終的に選ばれたのが、最初に作ったバージョンだったみたいですね。

アレンジも上がってきたものが送られてきて、ビックリしました。

とても素晴らしい感じになっていまして、メジャー級の方々が作るとやっぱりすごいね!
感動で涙が出そうでした。

この2週間のなかなか経験の出来ないような時間はとても貴重なものと思いましたが、終わってしまうと何だかさみしい。

何だかFプロデューサーと電話口でいろいろ話をしながら作ったフレーズって、とても作っている最中、とても楽しかった。
とても希望を感じましたし、エネルギーをいっぱいもらった制作でした。

今日最終版という音源が送られてきました。

もう何も言うことがありません。文句なしの素晴らしい音源だと思います。
イメージソングとして、残していただけるのは、雅音人にとって幸せなことですし、この制作チームのメンバー、Oプロデューサーを筆頭に、作詞、ディレクターのFプロデューサー、作曲はTamikoさん、制作の尺を作ったり、イメージを形にする作業、Tamikoさんのいろいろ裏方をやってた僕、アレンジとミックスの岡崎さん、
一流の方々の中に入って制作出来たのは、僕らにとってもこの機会が宝ですね。

ホント嬉しい制作でした。そんな中、いろいろあったし、辻さんたちとはまで1回しか会ったことないのに、この深いつながりや絆みたいなものを感じながらの制作がホントに楽しかったってことで、
何と、Fプロデューサーがわざわざ、打ち上げと称して、僕らが松本にいる6月4日の夕方から松本に来てくれるということになりました!!

すげー打ち上げになるでしょうね!!楽しみです。

楽曲を採用していただけて、最高の制作チームに入れていただけたこと、本当に幸せな制作でした。

これから、この曲を通して、どんな展開があるか楽しみですが、
まずは、皆様にご報告でした。

可能性を引き出していただいて、徹底したクリエイティブな感じ、エモーショナルな制作、
とても気持ちいい、まるでランニングハイに入っているような感覚に入る、といった感じの制作でしたよ!!

これで多分、一区切りになりましたね!

また、やりたいですね!!Oプロデューサー、ありがとうございます、Fプロデューサーありがとうございます!


みなさん、お疲れ様でーす!
by artwing | 2016-06-02 03:45 | 音楽屋

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